こんにちは。継続的に売れる仕組み再構築の専門家、諏訪昭浩です。

昨日、病んだアメリカ社会に今なお残る美徳の話をしましたが、どうもそれから11年住んでいたアメリカのことを色々と思い出すことが多くなっています。

今日は、日本人が知らず知らずのうちに失ってしまった、ある力についてです。

競争を避けてきた人は競争できない。そして結果を人のせいにする。

僕が住んでいたアメリカは日本以上に競争社会です。競争は資本主義社会の原動力です。だからアメリカ社会にはいろんなところに競争が存在します。

たとえば、僕の娘がバイオリンをやっていたのですが、バイオリンは上手な順に1列目から着席します。1列目を「ファーストバイオリン」と言い、2列目を「セカンドバイオリン」と言います。

どうやって上手かどうかを判断するのかというと、それは競争です。セカンドバイオリンの子がファーストバイオリンに移りたい場合、ファーストバイオリンの末席の子に勝負を挑むのです。そして、先生の前で2人が演奏し、先生が優劣を決めます。

負けた子は相手に、「おめでとう。でも次は負けないから!」と、ニコッと笑うのです。後腐れなし。

このように、子どものうちから、フェアな条件で勝負や競争をする事が当たり前のように身についているのです。

皆さんよくご存じのように、日本社会も競争社会です。残念ながらそこには勝者と敗者が存在し、時に不幸を生みます。だから、競争は悪だと「勘違い」されている方が多いのですが、悪なのはフェアでない競争であって、フェアな競争は悪ではないのです。むしろ、社会の活性化に欠かせない条件だと考えます。機会平等が正しいのであって、結果平等ではないのです。

しかし、今の日本は敗者を作らないという、まるで競争そのものを否定するような教育が小学校から行われ、たとえば運動会の徒競走は順位をつけないことがあるとか。子どもの頃からフェアな競争をする力を身につけていない日本人は、後腐れのない日本人同士の競争ができないし(実際できていませんよね)、世界とも競争できないでしょう。

そのような日本人によくありがちなのは、負けを他人のせいにする習慣です。負けることに慣れていないから受け入れられないのです。精神的未熟とも言えます。負けだけではなく、自分の落ち度、劣っている事、結果は自分の責任なのに他人に責任転嫁する習慣です。もう醜いとしか言い様がないですね。話は外れますが、こんな習慣が身につくと、その方は人としても職業人としても成長できません。

以上のように、日本人は「競争する力」を知らず知らずのうちに失い、競争社会に住みながら積極的に競争できないでいます。そして、競争できないが故に生じた不幸を他人の責任にするような習慣が生じています。

自分と競争について、一度よく考える必要があるかもしれません。

今日のまとめ

競争をする必要がない場合はしなくてもいいのです。ただ、しなければならないときに競争する力がなければ負けますし、それだけでなく、精神的に受け入れられないでしょう。それが余計な社会のギクシャク感を生んでいるのです。

この記事を書いた人
諏訪昭浩(すわあきひろ)
「継続的に売れる仕組み構築の専門家」
1961年広島生まれ。在米11年のMBAを持つ米国公認会計士として複数企業の経営を歴任した元エリートビジネスマン。自らが実践してきた、選ばれるため、売り上げるための仕組み作りと、パーソナルブランディングをベースに独自のノウハウを構築し、セミナーやコンサルティングを行っている。

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